国際テロ情報ファイル(1):2015年1月「パリ・シャルリー・エブド襲撃」テロ
Mar 15, 2024オンラインアカデミーOASIS学校長で国際政治アナリストの菅原出が、過去に発生した重要なテロ事案を取り上げて解説する新シリーズ『国際テロ情報ファイル』をお届けします。
2024年3月11日頃から4月10日頃まではイスラム教のラマダン(断食月)の期間にあたります。イスラム教徒の宗教心の高まるこの時期に、国際テロ組織アルカイダや過激派イスラム国(IS)は、「聖戦の月であり、非信仰者を悲惨な目に遭わせるのだ」とテロを呼びかけることから、大規模なテロが発生する可能性が高まります。
今年はイスラエルによるガザ攻撃が続けられ、多くのパレスチナのイスラム教徒が犠牲になっていることから、世界各地のイスラム過激派組織がイスラエルや米国権益への攻撃を呼びかけています。
テロに対する注意を喚起し、過去のテロ事案からの教訓を学ぶため、オンラインアカデミーOASISでは、過去10年間に発生したイスラム過激派によるテロ事件に関して菅原出が分析・執筆したレポートを『国際テロ情報ファイル』シリーズとして公開致します。テロ情勢の分析や今後のテロ対策にお役立ていただければ幸いです。
第1回目は、2015年1月7日にフランスのパリで発生したシャルリー・エブド襲撃テロ事件を取り上げます。
(photo: Wikimedia Commons)
目次
- 1. フランス犯罪史上初「2ヵ所同時」人質立て籠もり事件
- 2. 組織として競合しても末端では連携
- 3. テロリストたちの生い立ち
- 4.「要注意人物」が多すぎて監視が行き届かないフランス
- 5. 穏健派まで敵に回した先進国のテロ対策
1. フランス犯罪史上初「2ヵ所同時」人質立て籠もり事件
2015年1月7日、フランスのパリ11区にある風刺週刊紙『シャルリー・エブド』の本社を2名の武装した男が襲撃し、編集部員や駆けつけた警官ら12名を射殺した。その後逃亡した容疑者2名は、北東部セーヌエマルヌ県ダマルタンアンゴエルの印刷会社建物に立て籠もった。
一方、この容疑者グループと関係のある別の武装した男がパリ東部ポルトドバンセンヌのユダヤ系食料品店に人質をとって立て籠り、フランス犯罪史上初の2ヵ所同時の人質立て籠もり事件となった。
結局、ダマルタンアンゴエルでの襲撃と同時に、警察の特殊部隊が食料品店に強行突入して3名の容疑者を射殺。フランス史上最悪の大量殺人事件と同時人質立て籠り事件は、17名の被害者を出して一応の終結をみた。
この事件をめぐり1月14日にイエメンを拠点とする国際テロ組織「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」が、「イスラム教預言者ムハンマドを侮辱したことへの復讐だ」との犯行声明を出した。
2. 組織として競合しても末端では連携
AQAPは、11分間にわたるビデオの中で、この事件がアルカイダ指導者のアイマン・ザワヒリの命令によるものだったと述べ、AQAPが「標的を選び、計画を立て、資金を出し」実行したと強調した。
週刊紙の本社を襲撃した実行犯のサイド・クアシとシェリフ・クアシ兄弟は、自分たちが「イエメンのアルカイダ」のメンバーだったと話しており、2011年にイエメンに渡航してAQAPの軍事訓練を受けたことが確認されていた。AQAPがフランスでのテロを認めたのは初めてのことである。
一方、パリ東部ポルトドバンセンヌのユダヤ系食料品店に人質をとって立て籠もり、警察に射殺されたアメディ・クリバリは、過激派イスラム国(IS)の指導者アブバクル・バグダーディーに忠誠を誓うビデオを残していた。クリバリはクアシ兄弟に資金提供したことも明らかにしており、連動して今回のテロを起こしていた。
AQAPは国際テロ組織アルカイダの下部組織だが、ISはアルカイダから「破門」されており、AQAPとISは組織同士としてはライバル関係にあった。しかし、そうした組織同士の対立関係とは無関係に、末端のテロリストたちは現場レベルで連携していた。
3. テロリストたちの生い立ち
米『ウォールストリート・ジャーナル』紙(2015年1月14日付)が、ユダヤ系食料品店に立て籠ったアメディ・クリバリがテロリストになる過程についての興味深い記事を掲載した。それによると、クリバリがフランス警察の犯罪記録に登場し始めたのは彼が15歳の時で、それ以降、万引き、麻薬取引、武装強盗や盗品の売買など数々の犯罪を重ね、1999年には警察官を襲った罪で有罪判決を受けていた。
クリバリが18歳の時、彼の親友で強盗仲間だった男が強盗現場から逃亡し警察に射殺される事件が起きている。この時射殺された男の家族が、事件の真相究明を求める訴えを起こしたものの、裁判所は「警察官の行為は正当防衛だった」として訴えを却下した。もともと問題児だったクリバリが過激なイスラム主義者になる上で、この事件が決定的に重要だったと『ウォールストリート・ジャーナル』紙は伝えている。
この事件の処理に反発を覚えたのはクリバリだけではなかった。裁判所が訴えを却下した後、彼の生まれ育ったパリ南部のグリニーでは数日間にわたって小規模な暴動が発生したことが記録されている。この射殺事件で殺された男は、クリバリが当時持っていた唯一の心を許せる友人だった…とクリバリの内縁の妻は証言した。
クリバリは2004年に銀行強盗の罪で6年の実刑判決を受けてパリ南部にあるフルリー・メロジス刑務所に送られた。この刑務所でアルカイダのリクルーター、ジャメル・ベガルと出会った。ベガルや米国パリ大使館を爆破未遂罪で投獄されていた。
クリバリは以前警察の取り調べに対して、「ベガル氏は科学と宗教の人だ」と敬意を払っており、ここでアルカイダ的なイスラム過激思想に染まったと見られている。実際同刑務所では、ベガルの「過激思想」に感化された若者グループができており、そのグループの仲間の一人が、『シャルリー・エブド』を襲撃した兄弟の弟シェリフ・クアシだったという。
出所した後もクリバリはベガルとの交流を続けた。彼の指示で、クアシを含めた過激派の仲間に物資や資金を運ぶ仕事を手伝うようになり、2010年5月には収監中の仲間の脱走を企てた罪で5年の刑を受けた。
このように青春時代のほとんどを刑務所で過ごしたクリバリは、クアシ兄弟が『シャルリー・エブド』を襲撃したのと合わせて行動を起こし、最後には食料品店に人質をとって立て籠り、突入した特殊部隊に合わせて40発以上の銃弾を浴びて死亡した。
4. 「要注意人物」が多すぎて監視が行き届かないフランス
フランスでは、クリバリのような危険人物をなぜ警察がマークしていなかったのだ、との批判が噴出したが、「あまりに要注意人物が多すぎて、治安機関側のマンパワーが足りない」のが実態だった。
フランスは2014年9月19日に、米国が進める対IS戦争に参加してイラク領内での空爆作戦を開始。同時にテロとの戦いに関する新法を制定して、国内のテロ対策を大幅に強化。要注意人物の監視を強めていた。それによりフランス政府は、同年9月と10月の2ヵ月間だけで、119人の身柄を拘束し、そのうちの81名を起訴したと公表していた。
欧州連合(EU)内でフランスのイスラム教徒人口はダントツに多い。ドイツの412万、イギリスの287万人を凌ぎ、470万人で総人口の7.5%を占めると言われている。さらにシリアやイラクに渡航してイスラム国(IS)などの過激派勢力に参加した後に帰国したと思われる「中東帰り」の数も欧州最多の700名と言われていた(『共同通信』2015年1月8日)。
中東に渡航し、イスラム過激派と接触した可能性があるフランス国籍の要注意人物が700名もいるのであれば、その全てに24時間体制での監視を付けるのは現実的に不可能だ。特定人物の行動を監視するにしても、無制限にいつまでも出来る訳ではない。
一人のテロ容疑者を24時間監視するとすれば、現実的に捜査員の数は20名くらい必要になる。もし要注意人物が700人いるとしてその全てに監視を付けるとすれば、それだけで1万4000人も捜査員を投入しなければならない。どこかの独裁監視国家でなければそんなことは事実上無理であろう。だから必ず抜け穴が出来てしまう。
実際、2014年頃からイスラム過激派による小規模なテロや暴力沙汰がフランス国内でぽつぽつ発生していた。2014年5月には、隣国ベルギーのブリュッセルでも、アルジェリア系フランス人がユダヤ博物館で観光客など数名を射殺する事件を起こしている。
また同年12月のクリスマス前にも不穏な暴力事件が立て続けに発生。20日には中部トゥール近郊で刃物を持った男が警察署を襲撃して警察官3名を刺し、射殺された。21日と22日には、フランス東部ディジョンと西部ナントで、それぞれ暴走車が人混みに突っ込む事件が起きていた。
フランスの治安機関が計画段階で容疑者を逮捕し、テロを未然に防いでいたというニュースも頻繁に報じられていた。こう見ていけば、近々に何らかの大きなテロ事件が発生するのは時間の問題だったとも言えるであろう。
2015年1月13日に『共同通信』が配信した「過激派戦闘員、勧誘が横行、イスラム系若者に疎外感」という記事は、フランス社会に溶け込めず過激思想にのめり込んでしまう若者の実情を伝えていて興味深い。それによると、今回の事件の容疑者たちが住んでいたパリ郊外の移民街では、差別され、失業に苦しみ「フランス人として認めてもらえない」と疎外感を持つイスラム系の若者が多く暮らしている。それを狙って、「イスラム過激派の戦闘員勧誘が横行」していたという。
無職のアルジェリア系男性ヤシヌ・ベンサレムさんは「学位を取ればイスラム系でも就職できると思い、大学の修士課程まで出たが、仕事は見つからなかった。フランスで生まれ育ったのにフランス人と認めてもらえない」と怒りをぶちまけたという。
フランス人と認めてもらえないため、イスラム教にアイデンティティを求め、ネットを通じて過激思想に染まる…そんなフランスのイスラム系若者たちの心に、アルカイダやISのメッセージが届いたのであった。
5. 穏健派まで敵に回した先進国のテロ対策
単独行動テロを専門に研究しているノルウェーの研究者トーマス・ヘッグハマー氏によると、「西側諸国で育ち、過激思想に感化された人は、自国内でテロを起こすのではなく、戦闘地域に行こうとする」傾向が強い。また「最終的に自国内でテロを起こすための経験を積むために戦闘地域に行こうとする」者は統計的に見てもごくわずかしかいないという。
しかし連続テロ事件を受けて、フランスはさらにテロ対策を強化し、イラクやシリアへの渡航希望者に対する取り締まりを強めている。クアシ兄弟のようにイエメンから帰ってパリでテロを行った人物が出た以上、やむを得ないが、それにより国外に出られずに国内でテロを起こす例が出ているのだから対策は難しい。
バルス仏首相(当時)は2015年1月13日に、「フランスはテロとの戦争に入った」との認識を示し、情報機関の権限強化、過激派受刑者を隔離収監し、過激思想の宣伝や勧誘を防ぐためのなどの対策を発表し、1万人の兵士と5000名の警官を動員して警備を強化することを明らかにした。
またフランスはじめ欧州諸国全体で広まる反テロリズムの動きは、否応なしに反イスラム感情を強め、イスラム系移民を圧迫している。『シャルリー・エブド』紙に同情的な風潮が強まり、同紙の最新号は300万部を越える売れ行きになっただけでなく、他のフランス紙やドイツの『ベルリーナー・ツァイトゥング』や『ターゲスシュピーゲル』などが、『シャルリー・エブド』との連帯の意思を示すために、同紙が掲載していた風刺画を一面トップで掲載した。
自分たちの信仰の対象が冒(ぼう)涜(とく)されることに、世界中のイスラム教徒は激怒した。エジプトにあるイスラム教スンニ派最高権威アズハルの宗教見解部門は、『シャルリー・エブド』が預言者ムハンマドの風刺画を掲載することは、「世界のイスラム教徒への不当な挑発だ」とする声明を発表(1月14日『共同通信』)。過激派ISも同様に『シャルリー・エブド』の風刺画掲載を「愚かな行為だ」と批判した。穏健のイスラム教徒とISが、反『シャルリー・エブド』で同じ側に立ったのだった。
本来、一般の穏健なイスラム教徒とISやアルカイダのようなイスラム過激派を分断させなければならないが、フランスでとられている政策や社会風潮は、一般イスラム教徒を敵に回し、過激派の距離を近づける方向に進んでおり「ISの思う壺」になっていた。
このテロ事件を受けてフランスでは、反イスラムの極右団体等がイスラム教の寺院(モスク)に手榴弾を投げ込むなどの「報復」攻撃が行われた。フランスの治安機関は、国内にいる中東帰りの要注意人物を中心にイスラム教徒の監視をさらに強め、真面目に暮らしているイスラム教徒を不快にさせる事例が積み重なっている。
監視を強め、過激な若者のシリア渡航を規制すれば、国内でのテロに走る。テロが起きればイスラム教徒や移民に対する反発が強まり、さらにイスラム移民に対する監視や差別は強化される。そして抑圧されたイスラム教徒の中から、また過激なテロに走る若者が出るという悪循環である。
こうした社会現象はフランスに止まらず、多くの西欧諸国にも共通する。フランスで起きたテロと同様の事件が、他の欧州諸国でも起きることが十分に予想されたのである。
菅原 出
OASIS学校長(President)